
【訃報】タイのプミポン国王死去
1: 名無しさん@おーぷん 2016/10/13(木)20:52:52 ID:EiX
タイ国民から絶大な支持を集めたプミポン国王がこの世を去った。国軍との協力の下、王室の権威と議会制民主主義を併存させる「タイ式民主主義」を確立し、長く国の安定と発展を支えた。
しかし近年、国内は政治対立に揺れており、カリスマ国王亡き後「タイ式」は、大きな転換期を迎えることになりそうだ。【岩佐淳士】
タイ人が国王に抱く「国父」としてのイメージと権威は、1946年に即位したプミポン国王が1代で築いたものだ。タイは32年の立憲革命で絶対王制が廃止され、王室の影響力は弱まった。再び影響力が強まったのは、軍人のサリット元首相がクーデターで政権を掌握した57年以降だ。 サリット氏は、国王の権威を利用して政権の求心力を高め、開発独裁と反共産主義政策を進めた。プミポン国王も地方視察や開発事業を積極的に実施し、ラオスに近い東北部など貧しい農村に活動の重点を置き、共産化を防いだ。「私たちは誰とも戦っていない。飢えと闘っているのです」。70年代に撮影された英BBCのドキュメンタリー映像。「経済開発で共産ゲリラに打ち勝とうとしているのか」との質問にプミポン国王はそう答えた。英明で慈悲深い言動に国民は理想の君主像を重ね、プミポン国王は名実共に国民統合の柱となった。92年に国軍と民主化運動グループが衝突した「5月流血事件」では、双方を王座の前に座らせて仲裁し、その政治的影響力の大きさに世界が驚いた。一方「タイ式民主主義」は政治的安定をもたらしたが、王室に連なる軍や官僚、財閥といった支配者層に富と権力を集中させた。70年代以降の民主化運動を受け、議会制民主主義の比重は徐々に増したが、旧来の支配者層は隠然たる影響力を維持し続けた。そうした「ゆがみ」に目を付け「タイ式」を揺るがしたのが、2001年に首相に就任したタクシン氏だ。タクシン氏は「ばらまき」とも言われる政策で農村住民や貧困層から圧倒的な支持を得ると、大胆な行財政改革で既得権益に切り込んだ。
しかし近年、国内は政治対立に揺れており、カリスマ国王亡き後「タイ式」は、大きな転換期を迎えることになりそうだ。【岩佐淳士】
タイ人が国王に抱く「国父」としてのイメージと権威は、1946年に即位したプミポン国王が1代で築いたものだ。タイは32年の立憲革命で絶対王制が廃止され、王室の影響力は弱まった。再び影響力が強まったのは、軍人のサリット元首相がクーデターで政権を掌握した57年以降だ。 サリット氏は、国王の権威を利用して政権の求心力を高め、開発独裁と反共産主義政策を進めた。プミポン国王も地方視察や開発事業を積極的に実施し、ラオスに近い東北部など貧しい農村に活動の重点を置き、共産化を防いだ。「私たちは誰とも戦っていない。飢えと闘っているのです」。70年代に撮影された英BBCのドキュメンタリー映像。「経済開発で共産ゲリラに打ち勝とうとしているのか」との質問にプミポン国王はそう答えた。英明で慈悲深い言動に国民は理想の君主像を重ね、プミポン国王は名実共に国民統合の柱となった。92年に国軍と民主化運動グループが衝突した「5月流血事件」では、双方を王座の前に座らせて仲裁し、その政治的影響力の大きさに世界が驚いた。一方「タイ式民主主義」は政治的安定をもたらしたが、王室に連なる軍や官僚、財閥といった支配者層に富と権力を集中させた。70年代以降の民主化運動を受け、議会制民主主義の比重は徐々に増したが、旧来の支配者層は隠然たる影響力を維持し続けた。そうした「ゆがみ」に目を付け「タイ式」を揺るがしたのが、2001年に首相に就任したタクシン氏だ。タクシン氏は「ばらまき」とも言われる政策で農村住民や貧困層から圧倒的な支持を得ると、大胆な行財政改革で既得権益に切り込んだ。